中華街って風水を基礎に街が作られたって本当?
中華圏では風水(より良い運気を得るための行動・生活様式)を基礎に建物を建造したり、街の造成から意識したまちづくりをしている・・・なんて話を聞いたことがあるのでは?
風水=香港(中華圏)をイメージすることが多いと思います。
下記の地図を見て、地図上で一部の区画だけ歪んでいる箇所を発見できましたね。
そうここが横浜中華街であり、この歪みこそが風水思想に基づいて造成が行われたと言われる所以です。
近年の研究では、現在中華街と呼ばれるエリアは古くは水路に囲まれた横浜新田と呼ばれており、当時から既に歪んだ区画であったそう。
詳しい史実や研究内容についてはここでは触れませんが、偶然割り当てられた歪んだ区画が、結果的にその後の街の造成と異文化の融合により、より神秘的な異文化を感じられる街として進化してきたのででしょうね。
それでは中華街に点在する牌楼(門)、廟(中華寺院)を巡ってみましょう。
中華街牌楼(門)
中華街内の牌楼(門)は全部で9基。風水思想を基に東西南北を起点に街の入口たる箇所に設置がされています。
中華街大通りに唯一跨る、善隣門(一番最初に建立された牌楼)
風水上最も重要な東西南北に位置する、朝暘門(東)、延平門(西)、朱雀門(南)、玄武門(北)
関帝廟通りの両端に跨る地久門、天長門
市場通りの両端に跨る市場通り門2基
善隣門で中国文化の入口を感じよう!(唯一大通りに跨る最初に建立された牌楼)
横浜中華街大通りに跨る唯一の牌楼(門)であり一番最初に建立された牌楼でもあります。
現在の善隣門は2代目にあたり、初代は1955年(昭和30年)竣工。
初代牌楼を建設するにあたり、JR石川町駅から当エリアへ入る大通りの入口側(写真上)に『中華街』と記したことにより当エリア全体が中華街と呼ばれるようになりました。
出口側(写真下)に『親仁善隣』と記したのは、歴史的に抗争関係にあった大陸出身華僑・台湾出身華僑、そして老華僑・新華僑同士の協調関係、更には華僑の街として街を訪れる人々との親和の願いが込められているそうです。
中華街散策で『善隣門で待ち合わせ!』なんてのも、とってもお洒落ですし日本にある中国文化の入口としても気分を盛り上げてくれるではないでしょうか!
中華街で記念撮影といえば牌楼や廟(中華寺院)が人気ですが、善隣門をバックにした記念撮影は一番人気で時間を問わず常にごった返しています。
東西南北の牌楼は風水思想を基に街の運気を高める役目!
たくさん牌楼(門)があるからどこがどの門かわからない・・・なんて声も聞こえてきそうですがわかってしまえば簡単。運気を感じる牌楼の特徴を含めて位置関係を見てみましょう。
東門(青):『朝暘門』朝日が登る東(山下公園側)に位置し青龍が街を守る
中央の道路を真っ直ぐ行った突き当たりが山下公園。突き当たりの手前がホテルニューグランド。あのマッカーサーが米軍司令本部を置いていた場所。現存していることは周知の通りですね。
正面のビル群がなければ朝日が差し込んで幻想的なアングルになっていたのかなぁと。。。
朝暘門の目の前の交差点には、みなとみらい線の元町・中華街駅への連絡通路があります。しかしながら駅改札までは長ーい地下通路を歩かなければなりません。
門の特徴は柱中心に青を基調とし正面に龍が描かれており、朝日の登る東から青龍が街を守るという意味合いがあります。風水五行では朝日=朝の時間帯、季節ではことの始まり=春とされこの時期には特に龍の睨みを感じるかもしれませんね。
山下公園から流れる爽やかな風を感じる場所でもあるため、街全体へ運気を流し込む位置に存する牌楼でもあります。
説明碑は全部で4つ。東西南北の牌楼脇に建てられている。該当の牌楼の説明、そして中華街全体の説明が書かれています。
朝暘門には朝暘門をくぐってすぐの場所にある中華街大通りの東端(西端には善隣門)にあたる1880年頃の写真が掲載されています。正面の家屋は現在の交番となります。
西門(白):『延平門』日が沈む西(JR石川町駅側)に位置し白虎が街を守る入口
西端に位置する延平門は上記写真中央の道路の突き当たり向かって右手にJR石川町駅があります。延平門からは徒歩3分ほどの位置関係です。
かつて中華街至近の駅といえばJR石川町駅(根岸線)のみでした。根岸線の歴史も古く中華街の発展に根岸線は欠かせないものでした。そんな位置に存する延平門はその先に大通り入口(善隣門)があります。善隣門まで左右に並べられた植木や赤い中華柱が気分を盛り上げてくれます。日本式に考えると参道にあたる部分になるわけです。
牌楼は西の邪気を祓う意味合いで白柱に白虎を配置しています。柱の上部4点に存する4体の白虎は牌楼をくぐる全てのものに睨みを効かせています。風水五行では日の沈む西にあることからも夕方の時間帯、季節では秋を示すと言われています。
東西南北の牌楼の中で現在も最大の人通りがある延平門から大通り入口までの通路は食の街、運気の集まる中心街へ引き寄せられていく感覚に陥るのは運気を感じている証拠ですよ。
夕方の西陽に照らされる延平門もまた風情を感じます。
こちらの説明碑には延平門と関帝誕について記載があります。
関帝誕とは三国志でおなじみの中国の関羽様(商売の神様と言われている)の生誕を祝う年中行事となっており、中華街を関羽様を乗せた神輿を練り歩くというものです。
毎年旧暦の6月24日に開催され、今年2023年は8月10日に開催されました。
また、その年に生まれた子供(0歳児)を関羽様の優美さ、剛健さにあやかり合同で御祈祷をしてくださる、という行事も行っています。当行事は中華街内にある関帝廟で行われます。
南門(赤):『朱雀門』目の前に堀川、その奥には元町、外国人居住区から朱雀が目を光らせる
正面の信号を直進すると程なく元町商店街の中心に突き当たる位置関係です。途中江戸時代の地図にも存在したことが確認される堀川(運河)を跨いでおり、釣船が浮かんでいます。
朱雀門は古来外国人居住区である山手から元町エリア側の中華街入り口として利用されてきました。
朱雀は中国の伝説上の四神(神獣)の一つとされ南を司どり、柱の朱色(赤)は南方の色とされています。赤は炎を意味し街に入り込む悪を焼き祓い、朱雀が福を呼び込むという意味合いがあるそうです。
風水五行では昼の時間帯、季節は夏。
朱雀門から中華街内部へ入ってすぐ右手に真祖廟という位置関係でもあります。
このエリアは中華料理店をはじめとした店舗はまばらですが、古くからある道路で、宿(ホテル)やテーラー(洋服の仕立て屋)が立ち並んでいたそうです。現在もその名残を感じることができるエリアでもあります。
朱雀門を直進して真祖廟が現れた時の感覚は、異国情緒とその圧倒される空気感を得られる中華街随一のエリアでもあります。
朱雀門の説明と朱雀門から真祖廟へ向かう道路(現南門シルクロード)の1920年頃の当風景を見ることができます。
山手の外国人がこのエリアを通って商業エリア(現在の日本大通りや馬車道)へ行っていたと思われる道でもあります。中華街内部(東西南北牌楼内)は、ほぼ一方通行ですが現在もこの南門シルクロードは両側通行です。荘厳な朱雀門と真祖廟の圧倒感は静の中華街を感じるエリアと言えるでしょう。
北門(黒):『玄武門』神獣玄武が宿るのは漆黒の牌楼
当写真の向かって正面は横浜公園。公園内には横浜スタジアムがあります。
玄武門は北端の横浜公園(横浜スタジアム)至近の牌楼であるため横浜スタジアムや公園内で野球の試合・各種イベントが行われると中華街へ行くための一番の近道となっています。
玄武門を潜って直進すると大通りの入口善隣門が右手に見えてきます。そのため善隣門周辺の賑わいを遠くに感じつつも他3つの東西南の牌楼と比較すると人々でごった返すことは少ない印象です。
西門(延平門)と同様に善隣門(大通り入口)までの連絡通路的な役割もあるため、ひと時のワクワク感を感じるのではないでしょうか?
玄武門を司どる玄武も四神のいち神獣で、蛇と亀が合わさったような容姿をしていると言います。黒は北方を守護する色とされています。
蛇と亀が合体した生き物を想像すると、異常に首が伸びた亀のような姿なのでしょうかね・・・
玄武門に関する説明の他、中華街全体の古地図が記載されています。
昔から海と川に囲まれる歪んだエリアなんですねー
牌楼まとめ
方角 | 牌楼名 | 四神 | 五行季 | 五行五時 | 五行五色 |
東 | 朝暘門 | 青龍 | 春 | 朝 | 青 |
西 | 延平門 | 白虎 | 秋 | 夕方 | 白 |
南 | 朱雀門 | 朱雀 | 夏 | 午前 | 朱(赤) |
北 | 玄武門 | 玄武 | 冬 | 午後 | 玄(黒) |
陰陽五行とは中国春愁戦国時代頃に生まれた陰陽論と五行論が融合したもので、方角・季節・時間・色・守護する神獣を季節に応じた太陽の動きに合わせて気(運気や邪気)の流れを計算したものです。
一般に中国も日本同様、白や黒は葬式や儀式を連想する色とされ風水上でも置く方向や場所など注意が必要と言われます。そのため本来あるべきでない色を置かなければならない場合はその意味合いを消すための色や物を置くことで邪気を祓うということをしています。
東西南北の牌楼はその意味でも豪華で色鮮やかに仕立ててあるのはそのためなのです。
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