何か聞いたことが有るような、無いような単語に国慶節(こっけいせつ)があるのでは?何となく中国の単語であることは想像できますよね。
国力を向上させる事により何かと世界への発言力を増す中国ですが歴史を辿ると様々に独特な文化を生み出していることでも知られています。そして世界中に散らばって生活する華僑がその文化を各地で伝承しているのです。その一つが国慶節です。
国慶節とは?
1949年10月1日 天安門広場で時の首相 毛沢東が『中華人民共和国』の成立を宣言した事により、毎年10月1日は国慶節(建国記念日)として様々な催しを行うようになりました。
そうなんです。国慶節は現在の中国の建国記念日であり、中華人民共和国(現在の中国)は比較的新しい国なのです。中国3千年の歴史・・・などと聞き慣れた言葉と現実はちょっと違います。とはいえ日本の歴史以上に中国の歴史は長い年月を経て、現在の大国として君臨していることは事実ですから。
そんな中国では8日間の連休となり、中国と商取引のある企業や観光客にとってこの時期の取引や渡航は想定外では済まされない事態になります。反対に中国在住の方は海外へ渡航するため、日本でも中国人インバウンドを期待する声も聞かれてきますよね。これが私たちが感じる国慶節のイメージでは無いでしょうか?
10月1日、横浜中華街ではお祝いムードたっぷりのパレードが行われました。
パレードは見た目の派手さとは違い、規律に沿って誘導する方の指示で動く印象で、通常獅子舞を見ていて感じる、どこへ行くかわからない?や何をしてくるかわからない?といった挙動は見られず祝賀ムード満載の悠然としたパレードでした。
国慶節パレードには横浜華僑総会に属する華僑、そして学校(横浜山手中華学校)から派生した団体が参加しています。
横浜華僑総会に属する華僑
世界中に広がる華僑のネットワーク。華僑とは在日中国人で親子の世代を経て日本に定住する人達を指すため、私は華僑3世だよ〜などと自己紹介を受けることがあったりします。従ってルーツは中国人だけど日本人という人がとても多いのです。国籍も帰化する人、そのまま中国国籍の人様々です。
そのため見た目は中国人、アジア人なので日本人に見える人もいます。
そんな華僑は老華僑と新華僑に大別されます。
明確な峻別ができるかどうかわかりませんが、家族の中で帰化する人が出てきたら新華僑と分類されるようになるのではと思っています。従って老華僑に分類されるには何世代かに渡って華僑のネットワークに属することが必要だと思います。
とはいえ老華僑・新華僑の区別は無いため、母国を離れて生活する中国人を総じて華僑と呼んでいるのでしょう。
そんな華僑達が作った華僑のための団体が華僑総会です。
しかし馴染みのない人にとって華僑って謎???ではないでしょうか?私は古くから友人に3世の華僑がいるのですが彼を華僑という括りで見ていませんでした。今になって彼もその華僑ネットワークの一員であったことが感慨深いです。
華僑総会にも中華人民共和国を母体とした団体、そして中華民国を母体とした団体があり、どちらも華僑総会と呼ばれているためどっちがどっちかわからなくなります。複雑な歴史が絡むからです。
学校も中華人民共和国を元とした横浜山手中華学校、中華民国を元とした横浜中華学院の二つがあります。
現在、中国と台湾の関係は周知の通りですが、こういったところにも現れているんだと痛切に感じます。
政治的な絡みを考えると分断されているように感じられる二者ですが、良くも悪くもライバル関係であると言えるのではないでしょうか。横浜華僑に関していえば中国と台湾の図式に当てはまらないからです。
横浜華僑の構成図
華僑は老華僑・新華僑と呼ばれることがあるが明確に分けることはできず、付き合いのあるネットワークにより新華僑が徐々に老華僑と呼ばれるようになっていくのではないか?ということは前述の通りですが、中国と台湾という括りにおいても同様に複雑に絡み合っています。
1949年10月1日に時の首相 毛沢東が『中華人民共和国』の成立を宣言した事により、それ以前に来日していた華僑とその後来日した華僑とで母体とする思想の違い、政治的な圧力により華僑の構成図にも影響し二つの華僑総会が誕生しました。
それが中華人民共和国と中華民国の華僑総会です。
組織には前述の学校が含まれ、その歴史に抗争は切っても切り離せない関係です。
規律を重んじる中華人民共和国、規律と自由を主体とする中華民国。
横浜中華街ではそんなライバル関係である彼らが共存・共栄しているのです。
そして国慶節で規律に重きを置いた祝賀パレードに感じたのは中華人民共和国のパレードだったからということなのだと改めて感じました。
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